済生会総研News Vol.62

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済生会総研の視点・論点 済生会総研 所長 炭谷 茂
第61回 人間の尊厳の根拠

 医療、福祉、人権の仕事では、究極的に人間の尊厳をどのように考えるかという問いに行きつくことがある。
 旧厚生省に勤務していた時に従事した脳死移植問題は、それを正面から問われる問題だった。私が関わったのは、超党派の国会議員による検討会が進められていた時期だったが、意見は集約することはなかった。
 医療、刑事、民事など多分野の行政に関わったし、日本人の国民意識、科学に対する信頼性も関係した。根本的には死や人間の尊厳に関する各自の宗教観や哲学にかかっていた。だから、話し合いで結論を得る性格ではなく、大変難しいテーマだった。役人では全く歯が立たない仕事だった。
 重症心身障害児(者)を守る会は、昭和39年に発足したが、当時、世間から浴びせられた言葉は、「こんな子を生かす意味があるのか」、「何の役にも立たぬ子に税金を使うわけにはいかない」だったという。親たちには反論する言葉がなく、ひたすら「この小さな命を守ってください」と訴えるだけだったという(岡田喜篤元北海道療育園理事長2019年6月8日講演より)。
 当時、重症心身障害児(者)の命が軽視されていたことが分かるが、40年近く経過した今日でも同様な考えが、時々表面化する。
 2016年に神奈川県相模原市で発生した津久井やまゆり園殺傷事件もその一つである。犯人の植松聖は、重度障害者は「生きていてもしょうがない」とか「命を無条件に救うことが人の幸せを増すとは考えられない」といった発言を繰り返していた。
 こんなラディカルな発言でなくとも、石原慎太郎は、都知事在職中の1999年に都内の重症心身障害児施設を視察した際に「彼らに人格というものがあるのかね」と記者団に語って批判を浴びたことがある。
 このような問題に接すると、57年間、人権や福祉問題に関わってきた私は、本当に寂しさと憤りを覚える。そして信念をもって反論や抗議をするように努めてきた。このためには人間の尊厳について常に思考を重ね、勉強を深めてきた。私のアプローチは、次の3つの角度である。
 第1は、哲学や宗教学の見地から人間の尊厳について思考している。読むべき書籍は膨大にあるが、自分の考えに合った書籍を繰り返して読み、自分の哲学を固めてきた。
 第2は、憲法学等の法学からのアプローチである。これは訴訟や実社会で実効性があり、他者との交渉力に大きな力を発揮する。
 第3は、障害者等の当事者と同じ目線からのアプローチである。これは長い間、当事者と接することから多くを学んできた。
 まだまだ道半ばであり、さらに勉強を重ねていきたいものだ。

研究部門 済生会総研 上席研究員 原田 奈津子

第20回全国済生会在宅サービス協議会への参加報告

 三重県で開催された第20回全国済生会在宅サービス協議会に参加してきました。以下、報告をしたいと思います。

 「総会・全体会議」、「特別講演」、「部会」・「部会報告」、「閉会」というスケジュールであった。社会状況を踏まえ、現地とWeb会議を併用したハイブリッドでの開催となった。
 特別講演では、冨本秀和氏(三重県済生会明和病院特別顧問兼三重大学特定教授)による「認知症の地域包括ケア」の講話があり、もの忘れ外来の取り組みや地域でのネットワークづくりなど、認知症の方とその家族をどう支えるのか、実践に基づく先駆的な取り組みの紹介がなされた。
 続いて行われた部会では、訪問看護ステーション部会、地域包括・在宅介護支援センター部会、居宅介護支援事業所部会、訪問介護事業所部会、通所介護・通所リハビリ部会の5つに分かれ、情報交換やディスカッションがそれぞれなされた。
 私が参加した、地域包括・在宅介護支援センター部会では、コロナ前・後やこれからの取り組みについての事前調査をもとにした報告があった。介護予防の取り組みとして、参集型のサロンや体操教室などを実施していたが、体操の仕方を映像で送るなどの個別対応への切り替えや、電話やWebを活用するなど、対面によらない工夫を行っているとのことであった。また、虐待防止やフレイル対策などに関するチラシのポスティングを行なうなどの啓発活動を行なっている事業所も多くみられた。その他、コロナによる影響を考慮し、BCP(事業継続計画)を事前に立てているところもあった。Webを活用した取り組みが進む一方で、個人情報などに関するルールづくりを行う必要性を感じるという声もあった。非常に濃い情報交換の場となった。
 閉会時の園田会長の言葉が印象的であった。専門性の高いプロの集団として在宅サービス事業所のスタッフは責任感を持って取り組んでいるということが共有できた。国などへの政策などへの訴えも必要という話があった。私自身、マクロソーシャルワークの視点からも重要な指摘であると感じた。この視点も研究に反映できれば思う。

―編集後記―


 桜島が噴火したと先日、ニュース速報のテロップで目にしました。一部避難する必要があるようで無事を祈るばかりです。鹿児島出身の私としては、噴石が心配だなとまず思いました。晴れの日でも、降灰時は傘をさすことが多いのですが、傘を忘れてしまった高校時代のとある下校時、豆粒くらいの小さな軽石が肩にあたって痛かったのを思い出しました。
 また、鹿児島あるあるかもしませんが、天気予報をみる時に、晴れや雨の予報ももちろん重要ですが、同時に桜島の風向きを気にしていました。降灰で視界不良になったり、息苦しくなったりと生活や身体への影響が出てしまうので…。今でも時折、天気予報をみる時に風向きを気にしてしまうこともあり、つくづく、活火山と共に暮らすということが身にしみついているのだなと感じます。
(Harada)

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